「中佐! しっかりしてください! 中佐!」
男の耳元で誰かが呼び掛ける。声は聞こえるのだが意識が朦朧とし、誰なのかは分からない。
「残念だが、これではもう…」
「ふざけるな!この人は人類の希望なんだ!死んだらいけないんだ!」
「そうだ。この男にはまだ死んでもらっては困る」
突如現れた黒いスーツの男は周りを黙らせ、意識はあるのだろう? と医官に確認する。
「初めまして中佐。何が起こっているのか分からんだろうが、一方的に話させて頂く」
スーツの男は先の作戦は失敗したこと。脱出が一瞬遅れ、片腕片足を失う重症を負ったこと。そしてこのままだと確実に死ぬであろうということを伝えた。
「しかし君のような優秀な人材を、パイロットとしてだけでなく戦術的判断に優れた人材を失うことは我が軍にとって大きな損失なわけだ。そこで君には死んでからも人類のために戦ってもらうことになった」
運び出せ、とスーツの男は引き連れてきた部下たちを部屋に入れ、瀕死状態である男を連れて行く。医官や仲間が止めようとするが、武装した彼等にあっさりと押さえられ、このことは口外しないように言われる。
「な…にを…」
「ああ、まだ口はきけたのか。安心したまえ。悪いようにはしない。だから今は眠っておけ」
意識が遠退き、仲間の声が聞こえなくなり、やがてなにも見えなくなった。
次に男が意識を取り戻したとき、そこは病院のような施設であることがわかった。白衣を着た人々が忙しそうに歩き回っている。
「調子はどうだ」
「順調です。数値は全て正常、拒絶反応も見られません」
「本体は?」
「完全に心配停止、5分前に死亡が確認されました」
「どうだね中佐、意識があれば起き上がれると思うが…」
目を覚ました男は体を動かす。手足はついているらしい。しかし違和感がある。まるで手足が短くなったような…
「なんだ…これは」
男の体は人間ではなかった。狸、あるいはアライグマか。いずれにせよ男はなにがなんだか分からなかった。
「俺は…夢でも見ているのか?」
「紛れもない現実だよ、中佐。君は人間の体を捨て、その体で生きていくことになったのだ。どのみちあの体では生きることなどできなかった」
「艦娘」というのを聞いたことはあるか、とスーツの男は言う。深海棲艦に対抗する為に産み出された技術で、既に沈んだ軍艦の魂を人間に宿らせ、艤装と呼ばれる武器で戦う少女たちのことである。突如生み出されたこの技術はまだ謎が多かったが、どういうわけか深海棲艦に対しては非常に効果があり、運用が始まっている一部の部隊では大きな戦果をあげているらしい。その技術を応用することで、人間の魂を動物に宿らせることにも成功していた。
「だからと言って、こんな姿でこれから生きて行けるか! こんなことならいっそ殺してくれれば…」
「言っただろう中佐。君を失うことは我が軍にとって大きな損失だと。本人の意思に関係なく、君にはまだ活躍してもらわねばならんのだ」
仕事の話をしよう、とスーツの男はいくつかの資料手渡した。
「君には艦娘の管理、運用を命ずる。対深海棲艦の専門部隊だ。所属は海軍となってしまうが、大したことではないだろう。すでに案内人を呼んであるから、詳しいことは彼に聞いてくれ。以上だ。反論は許さん」
それだけ言うとスーツの男は去っていった。部屋を出る直前に「すまんな」とだけ言い残して。
彼と入れ替わるように今度は一匹の猫が入ってきた。しかしこの猫、海軍の制服を身にまとい、手にはいくつかの試料を抱えている。
「初めまして提督。私があなたの案内人…おっと、案内猫です」
男は呆気にとられた。まるで漫画の世界にでもいるような感覚だった。二匹の動物が人間と同じように話し、同じように動いているのである。
「提督、と呼んだか?」
「はい。貴方は最早空軍中佐ではありません。海軍所属で艦娘を運用する海軍中佐、つまりは提督です」
彼は制服も用意していた。男、提督は素直に慣れない制服を着ると猫の後を追って部屋を出る。
「ところでお前、名前は?」
「我輩は猫でありますよ、提督」
「名前はない…というわけか」
「私のことは単に中尉と。心配せずともすぐに慣れますよ。自分なんか、人間だった頃なんて思い出せません。猫ですからね」
二人は施設を出て迎えの車に乗る。これから艦娘を運用する施設、鎮守府に向かうらしかった。車内で中尉は艦娘の概要を説明する。
そもそもの発端はドイツ軍技術部で、拿捕した深海棲艦を解析した結果、艦娘という対抗兵器の開発に成功した。しかしその技術には謎も多く、さらに少女を兵器にするという非人道的な部分から、日本での運用は見送られていた。だが日に日に増す深海棲艦の脅威には何かしら対策を取らねばならず、この時新政府を樹立して大日本皇国と改名したこの国は、正規軍の整備を進めると共に艦娘の運用を始めた。
「彼女たちも元人間なので、性格や容姿などはそれに準ずることが多いです。しかし中身や記憶はあくまで軍艦なので…まあ習うより慣れろですね。会ってみないと分からない部分は多いです」
艦娘の運用基地、鎮守府に到着する。既に一人の艦娘が港で待機しているらしく、施設の確認は後にして先に港へ向かう。
軍艦の姿は無かった。ただそこには一人の少女が提督の着任を待っていた。艤装は着けておらず、外見は人間となんら変わらない。
「初めまして、吹雪です!」
少女の敬礼に提督は応える。中尉、と提督は問いかける。
―彼女がそうか
―はい
―こんな幼い少女がか
―艦娘になるのは基本的に志願制です。また駆逐艦クラスには若い女性のほうが適合しやすいらしいので
―大本営も墜ちたものだな
―人類の危機ですから
少女に聞こえぬように二人は話す。その間吹雪は提督の言葉を待ち続けた。
「おい」
「は、はい!」
声をかけられ、吹雪は背筋を伸ばす。
「吹雪、と言ったな」
「はい!」
「貴様、軍艦だな?」
「駆逐艦です!」
「そんな外見でもか?」
「…し、司令官も、あ、アライグマですよ?」
提督はハッとした。言われてみれば自分も人のことを言える外見ではない。隣を見れば中尉がニヤニヤとしている。吹雪も、必死に堪えてはいるが口元が笑っている。すると提督は声をあげて笑いだした。それにつられて吹雪も中尉も笑いだす。
「人類の為に人外が人外を使って人外と戦うとはな。笑えるじゃないか」
「ええ、まったく」
「やってやろうじゃないか。どうせ一度は死んだ身だ。なにも恐くなんてないぞ」
3人…2匹と1隻は庁舎に向かって歩きだす。日はすでに山へと沈んでいき、水平線には月が出始めていた。