第2章 指揮官はアライグマ
提督が着任してから2日目の朝、やはり目が覚めても体はアライグマのままだった。これを喜ぶべきなのかどうか、現実を受け入れられずため息が出る。
「司令官、起きましたか?」
扉をノックされ、構わないから入れと提督は答える。
「お早うございます。昨晩はよく眠れましたか?」
「ああ、まだ夢でも見てるのかと思うくらいにな」
駆逐艦吹雪、提督直属の秘書であり現在保有する唯一の戦力である。指揮官が着任してようやく活躍できると思っているのだろう、朝から目はやる気に満ち溢れている。親切なことに朝食まで用意してくれていた。
しかし着任してすぐ出撃というわけにはいかない。彼女は数少ない貴重な戦力であり、みすみす失うわけにはいかない。まずは現状の把握である。
「それでしたら、中尉が指令書をくれました。大本営から当鎮守府に課せられた任務だそうです」
提督は吹雪からいくつかの書類を渡される。こちらの戦力が微々たるものというのは上も把握しているらしく、他鎮守府との足並みを揃える必要は無しというのは提督も嬉しかった。当面は鎮守府近海における制海権の奪還に向けた戦力の増強及び錬成に励めとのことだった。ありがたいことに新しい艦娘志願者がいれば優先的に回してもらえるらしい。
「ところで中尉はどうした。さっきから姿が見えないが…」
「中尉なら朝早くに出かけました。新しい仲間が着任するので、その出迎えに行くそうです」
そう答える吹雪は嬉しそうであった。戦力面だけでなく、生活においても1人というのは寂しいのだろう。提督にとっても戦力増強は嬉しい話である。艦隊も組めないようでは、どうせ現時点でできることなどない。
改めて提督は指令書に目を通す。この鎮守府は太平洋に面した湾内にある。鎮守府近海の制海権の奪還とは、この湾内のそれを奪還しろということだ。裏を返せば、もはや人類は港もまともに使えない程深海棲艦に追い詰められているのである。艦娘という存在が反撃の要だと言うが、その効果もこの目で見ないことにはにわかに信じられなかった。
そうこうしている内に中尉たちが帰ってきたのが執務室の窓から見えた。それを確認するや否や、待っていられない吹雪は執務室を飛び出した。本来ならここで着任を待っておきたいが、最初の着任者だしこちらから出迎えようと、提督も後に続く。
中尉の後に見える人影は3人、そこで吹雪があることに気付き、駆け出した。
「白雪ちゃーん!」
その声で気付いたのか、一人が吹雪に向かって走りだし、二人は抱き合う。
「吹雪ちゃん、会えて嬉しいよ!」
「私も! まさか同じ部隊だなんて思わなかったよ!」
喜ぶ二人の元に遅れて提督と中尉たちが追い付く。
「なんだ、知り合いか?」
艦の記憶か、それとも人間の記憶か…
「ん? 吹雪ちゃん、そのアライグマ…」
「司令官さんだよ、白雪ちゃん」
「え、本当⁉」
慌てて少女は敬礼し、提督は苦笑いで答礼した。きっとこれから新人が来る度にこんな反応を見なければならないのだろう。
「駆逐艦白雪です! よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。中尉、後ろの二人は?」
提督の声で少女が二人中尉の前に出る。
「初めまして、子日だよ!」
「駆逐艦、曙よ。なに? アライグマが指揮官なの?」
不満そうな表情をする曙に、提督も顔をしかめる。
「だ、駄目だよ曙ちゃん。外見はこんなだけど司令官さんなんだから…」
「こんな」で悪かったな、と提督は吹雪を睨む。それに気付いたのか吹雪はすぐに頭を下げた。提督は後ろでニヤニヤと笑う中尉に声をかけた。
「おい中尉、こっちの人事についてこいつらは何も聞かされてないのか?」
「道中私が説明しましたよ。もっとも、猫の言うことなど聞く耳持たぬといった具合でしたが」
それもそうか、と提督は視線を曙に戻した。彼女の気持ちも分からないではないが、舐められるのは面白くない。
「曙と言ったな? 悪いが俺がここの指揮官だ。見ての通りの姿だし、おまけに空軍出身で艦隊の運用もままならん。そこの中尉のほうがよっぽどいいだろうよ。だがな、ここは軍隊だ。気に入ろうが気に入るまいが、部下は上司を選べん。逆もまた然りだ。俺に言えるのはただひとつ、人類のために全力を尽くせということだけだよ」
意外にも曙は提督の話を大人しく聞いてくれた。表情こそ変わらないが、一応の納得はしてくれたのだろう。
「当然よ。指揮官がクソである以上、私達が頑張るしかないじゃない」
「そういうことだ。ま、よろしく頼む」
口は悪いが、素直ではある。これくらいが扱い易い、と提督は思った。きっと元は吹雪と同じ普通の少女だろう。しかし曙には軍人としての素質を備えている。叩けば叩くほどよく成長するだろう。
「さて、頭数も揃ったところだ。4人には明日から哨戒任務についてもらう」
「待ってましたー!」
元気よく子日が応える。
「着任早々現場配置で申し訳ないが、人手も足りん 。もう少しすれば戦力も増強されるだろうから、そうなれば訓練や演習もしてやれる。いま少し辛抱してくれ。以上、解散」
吹雪は3人を寮に連れていく。こうして見れば本当にただの少女たちだが、明日には彼女らを戦地へ投入しなければならない。最低限の訓練を受けているとは言え、やはり不安だった。
「まあここ最近当鎮守府付近で深海棲艦は確認されていません。遭遇したとしても駆逐艦クラスでしょうし、哨戒任務なら問題ないでしょう」
中尉はそう言うが、何故か提督は安心が出来なかった。
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